お湯の心


●信心ライブ
「お湯の心」

金光教放送センター


(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。
 今日は、広島県・金光教田熊港たくまこう教会の佐藤光平さとうみつへいさんが、平成24年1月7日、金光教本部で話されたものをお聞き頂きます。
 皆さんは、善かれと思って相手にしてあげたことが、お節介になってしまったり、反対に、相手がせっかくしてくれたことを疎ましく思ったりしたことはありませんか? これからお聞き頂くお話は、どうすれば日常生活の中で、周りの人と気持良く接することが出来るのか、そのヒントを教えてくれます。では、聞いてみましょう。

(音源)もう一つ、私もみ教えの中で頂いているものがある、稽古をさせて頂いている中身があるわけなんですけど、「日々信心している者は、湯をわかしたら湯で使うがよい。水にしないようにするがよい」と仰せられ、脳髄にしみこんだみ教えがあるわけなんです。
 その中で、湯というのは温かい心、水というのは冷たい心だと私は、理解させて頂いております。私も御用で出掛ける時に、お広前でね、「ただいまから出発させて頂きます、ありがとうございます。どうぞ道中けが過ちなく出発させて頂きますように」と、言うて出るんですね。湯の心で出発させて頂いても、自分にスピードの合わない、車が前におったら、「早よ行けばええのに」というねえ、水になってしまう心が恥ずかしいなと思うわけなんですけどもね。
 あるラジオ番組を聞かせて頂きました。ちょっと自分の不満をね、ラジオに投稿して、言うんですね。ある奥様が風邪を引いて調子が悪い。でも一生懸命食事をして、作ってご主人の帰りを待っておったんです。
 ほいで、「お父さん、今日はちょっと調子が悪いから早く休ませて頂きますね」。「ああ、無理するなよ」ということだったんです。
 それで、明くる朝、ご主人が起きる気配がない。まあ少し熱も下がったから、まあ仕方がない、朝食の準備でもって、起きられたんです、奥さんがね。で、ご主人は黙っていつもの通りに黙々と食べて、出発前に、「無理するなよ」と言うて出掛けて行ったらしいんです。まあ、それでも朝食の後片付け、洗濯をして干してからね、さあちょっとしばらく休ませてもらおう思って、寝室に行ったらね、布団が畳んであったというんです。今までしたことがないご主人が、布団を畳んどったらしいんです、その時に限って。
 それに腹を立てたらしいんですね、奥さんが。「いらんことをしてから」という思い。今から寝よう思うとったのに、布団が畳んであったというんです。
 でも、私はそれを聞いた時にね、ちょっと湯の心で聞かせてもろたら、「待てよ」となるんです。今まで畳んだことのないご主人が、布団を畳んだということは、奥様の体を気遣こうてのことなんでしょ。それを気付かなかったんですね。奥さんは、「さあ寝よう」思うた時に、パッと水になったんでしょうね。「あの、くそったれが」と言やへんかも分からんね。「いらんことしてから」という思いかも分からんです。でも奥さんが、湯の心であれば、「ああ、お父さん、私のために布団を畳んでくれたんじゃ。帰ったら、ありがとう言わんといけんね」という思いでご主人を待つのか、水の心で、やっつけてやろうという思いで、夕方まで、そういう心で待つのか。ねぇ。
 私も経験があるんですよ。教会は大祭というのがありますよね。大祭になるとやはり狭い教会ですから、念入りに掃除させてもらう、掃除させてもらうとゴミが出る。ちょうど明くる朝が燃えるゴミの日だったんです。家内は家内の方の周りの掃除をしとる、私は私の周りの掃除をさせてもらう。「あ、このゴミ袋もついでに捨ててやろう」と、湯の心ですよ、親切なんですよ。これも一緒に持ってってやろうと思って、そのゴミも一緒に持ってったんですね。で、しばらくすると、「お父さん、ここにあった袋は?」言うて、「あれゴミだと思うて捨ててしもうた」。「これから仕分けしようと思うとったのに」って。「すいません、取ってきます」って、取ってきたわけなんですよね。
 私も尋ねればよかったんですね。「おい、これ一緒に捨ててこようか?」と言うたら、「いや、お父さん、それはまだ仕分けするから、ありがとう、私が後から捨てるから」という思いかも分からん。尋ねれば、済んだかも分からんのですよね。でも、私は親切の心で捨てに行ったんがね、それが駄目になったんですね。「これから仕分けしよう思とったのに」って、私の親切、お節介になったんですね。

(ナレ)いかがでしたか? 親切とお節介の境目って、どこにあるんでしょうね? 我々も、普段経験させられる、とても悩ましい問題です。お話の中では、お湯の心になれば、相手がお節介でも、親切に受け取ることが出来るのではないかと教えて下さっています。
 そのためには、朝、目が覚めたら、まず初めに、お湯を沸かしてみるのはいかがでしょうか。お湯を沸かすといっても、本当にお湯を沸かすんじゃなくて、自分自身の感情を温めて、心をお湯にしてあげるんです。生活の中で、「もう、お節介しやがって!」という感情が出てきたら、お湯が冷めてきた証拠です。その時には、「お湯の心、お湯の心…」とつぶやいて、神様に心を向けてみましょう。きっと、また心が温まってくるはずです。
 逆に、相手が、水の心になっているなあと感じたら、お湯の心で、相手に接してみて下さい。お湯の心が伝わり、みんなの心が温かくなって、どんどんとポカポカした世界が広がっていけば、素敵ですね。
では、皆さん、ホットな一日をお過ごし下さい!

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