命にゃ別状なか


●私からのメッセージ
「命にゃ別状なか」

金光教出石いずし教会
大林誠おおばやしまこと 先生


 おはようございます。兵庫県・出石いずし教会の大林おおばやしまことです。61歳です。
 私の妻は、熊本市のある金光教の教会から来てるんですが、今日は、その妻のことではなくて、妻の父親のことを聞いていただこうと思います。熊本の父は、もう亡くなりましたけれども、髪の毛はもじゃもじゃでね、太っちょで、全く風采ふうさいを構わなくて、とぼけた感じにも見えました。でも、神様を信頼し切って、どんな時にもあたふたしない、腹の据わった人でありました。
 これは妻の母から聞いたことなんですが、熊本に嫁いできた時、おしゅうとめさんがものすごく厳しい人だったそうです。箸の上げ下ろしのような細かいことまで、若夫婦の不行き届きを見付けては、毎日毎日叱っていたという。それは、信心に基づく生き方を教えてやりたいという親心からのことだったらしいんですが、もうお年寄りで、ブレーキが利かなかったんでしょうね。教えているうちに興奮してきて、非常に激しい口調で延々とやられる。母はそれがつらかったと言います。
 ある日のこと、いつものように夫婦そろって正座させられて、お叱りを受けた。でもその時は子どものしつけについてだったので、母にも持論があって、言い返したくてムズムズしていたんですね。ところが横目で夫を見ると、「はい、申し訳ありません」と、手をついて頭を下げるばかりで、ひと言も口答えしない。だから母も仕方なく頭を下げるしかなかったそうです。
 それで、後になって聞いてみた。「あなた、お母さんからあんなにひどいこと言われて、悔しくないんですか」。そしたら父は、ケロッとした顔で、「どぎゃんもなか。これがやりか鉄砲でも持ってこられりゃ、慌てて逃げやんばってん、口だけだけん。命にゃ別状なかもん」と言ったんだそうです。「それを聞いたら、あれほど腹が立っていた自分が、馬鹿らしくなってねえ。父さんて、そういう人だったのよ」と、母はちょっと誇らしげに語っておりました。
 父のこういう性格はどこからきたのか。父は口数の少ない人でしたから何も聞けませんでしたけど、周りの人の話から察するに、どうやら戦争体験と深い関わりがあったようなんです。
 父は東京帝大の学生だった時に、いわゆる学徒出陣で動員されまして、攻撃機のパイロットになって、北海道の美幌びほろ基地に配属されました。仲間たちは特攻隊で次々に飛び立って死んでいく。そんな頃に、「お前が乗る新しい飛行機が茨城県の基地に置いてあるから受け取りに行け」という命令が下ったんですね。で、その飛行機に乗って帰ってきたんですが、意外に大きな飛行機だったもんですから、美幌の滑走路は短すぎて止められそうにない。それで後ろに乗っていた上官に、「ここには着陸できません。しかも今日は風が強いので、余計に無理です」と言ったんですが、「つべこべ言うな」と言って聞いてくれない。仕方なく、決死の覚悟で着陸して、本当にオーバーランすれすれのところで止まることができた。「よし、よくやった」。上官が褒めてくれたその瞬間に、突風で機体がフワッとあおられて、翼がポキッと折れてしまった。それで結局、出撃できずに終戦を迎えることになったんですね。
 こうやって父は死なずに済んだんですけれども、戦死した仲間たちのことを思うと、本当につらかったようです。でも、神様が下さった命なんだから、ここからの人生は神様に捧げようと決心して金光教の教師になったと、まあそういういきさつがあったようです。
 「命にゃ別状なか」というあのセリフも、そこから出てきたんだろうと思うんですね。
 で、「命にゃ別状なか」と言うくらいに腹の据わった人は、たとえ命に別状がある時にも、やっぱり腹が据わっておりました。60代の頃から腎臓を悪くして透析を受けるようになったんですが、ひと言も嘆いたり不足を言ったりすることがない。透析を受けてありがたいとか、病院で出された食事がうまかったとか言って感謝するばかりでした。
 岡山県にある金光教本部には「修徳殿しゅうとくでん」という研修施設がありましてね、父はそこで指導をする役に当たっておりました。2泊3日の研修があっても、週3回の透析のスケジュールを縫って、体の続く限り、熊本から岡山まで出掛けておりました。神様の御用に命を捧げる覚悟だったんでしょう。
 私たち、いろんなことで悩んだり、怒ったり、嘆いたりします。でもそれらの問題のうちで、命に別状あることって、それほどないんじゃないでしょうか。私も心がザワザワした時に、父の言葉をフッと思い出して我に返ることがあるんです。
 それと同時に、「自分には父のようなすさまじい体験がないからというような言い訳をしてはいけないんだろうな」ということも思うんですね。
 私は生まれた時、難産で仮死状態だったと親から聞かされています。その後も大病をしたり、大けがをしたこともあった。車にひかれそうになったり、崖から落ちかけたり、車を運転していてヒヤッとしたことも何回もあります。そういう命拾いの経験を、あまりにも軽視してきたのではないかなと反省するんです。
 皆さんの身にも、きっとこれまでいろんなことがあったんじゃないでしょうか。何度も何度も命を救われて、今不思議にも生きている自分。その生かされてきたという事実の重みと真剣に向き合えば、腹が立つことも少なくなるんじゃないでしょうか。お互いに、頂いた命を、うれしくありがたく、大事に使わせてもらいたいですね。
 「命にゃ別状なか」というこの言葉が、皆さんの役にも立ったら、亡くなった父もうれしいんじゃないかなと思います。

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