どうぞ、私をお育てください


信心ライブ
「どうぞ、私をお育てください」

金光教放送センター


(ナレ)おはようございます。今日は、京都府・金光教墨染すみぞめ教会、松岡光一まつおかこういちさんが、2021日10月に、天満てんま教会でお話しされたものをお聞きいただきます。
 松岡さんは、金光教本部に勤めていた時、全国から集まる経験豊富な先輩達に、祭典の作法を指導することになりました。若くて経験も浅かった松岡さんは、任せられた役割にプレッシャーを感じ、とても苦しみました。募る不安や心配、そして不満の気持ちを、どのように克服して、元気な心になっていったのか、お話しになりました。

(松岡)どうぞ、無事に御用が務まりますようにと、足らないところは足してくださいと、お広前でお願いをしました。でも、いくらお願いしても、お祭りを迎えるたびに、緊張しますし、御用のことを思うと、しんどくなります。
もっと言うと、「なんで自分がやらなければいけないのか、あの人がやればいいのに」と、不満も出てきます。本当に助からない状態でした。神様に対しては、「どうぞうまくいきますように。失敗しませんように」と、そんなお願いばかりする自分でした。そういうことが重なっていくと、そういう自分ではだめだと思いました。これでは神様へのお礼をあらわすどころか、かえって神様に心配をかけている自分だと思いました。この気持ちを何とかしたい。でも、不安な気持ちとかは、自分では全然どうにもできないですね。どうしたらいいのだろうかと考えながら、何回かそういうことを繰り返しておりました。
 ある時、どういう心構えで御用させていただいたらよいかなと思っていると、神様と人間は親子の関係と、教祖様は教えてくださっていることを思い出しました。神様は、人間を子どもと思って守ってくださり、生かしてくださっている。そう思った時に、じゃあ、親にとって、子どもがどうしてくれることがうれしいかな、と思いました。そしてふと、自分の子どものことを考え、子どもがどうしてくれることが、親の自分にとって、一番うれしいかなと考えた時に、子どもの成長する姿を見るのが、親は一番うれしいなと、思いました。自転車が乗れるようになったとか、算数の九九が言えるようになったとか。そういう成長する姿を見ることが、親である自分は一番うれしいなと思ったんですね。そう思えた時に、自分の御用に向かう姿勢も、神様へのお礼として、神様に喜んでいただける御用にならせてもらうには、今、自分に与えられたこの御用をとおして、自分が成長させてもらうことが必要で、その姿を神様は喜んでくださるだろうなと、そう思えたんです。そういう気持ちになると、フワフワして心配ばかりしていた自分の気持ちが、しっくりして、腹が座るというか。そうだ、自分がお育ていただくこととして、この御用に取り組ませてもらおう。いろんな先生に質問されても、分からないことがあるかもしれないから、もう一遍、祭式の勉強をしていこう。分からなかったら、そこでまた勉強して、先輩に尋ねて、分からせてもらおう。それで私が育たせてもらえる。その姿を、神様は喜んでくださるだろうと思えると、気持ちがすごく楽になりました。自分が、嫌だなと思う御用をとおして、私に成長せよ、私に育っていきなさいと、神様は願ってくださっているんだなと思えるようになりました。そうなると、神様への向かい方が変わります。それまでの、どうぞ失敗しませんように、どうぞうまくいきますように、という願いから、どうぞ今日の御用をとおしてお育てください、という願い方に変わっていきました。
私たちが日々生活していく中では、いろんなことが起きてまいります。そういう時こそ神様に心を向けて、私の生命を生かそう生かそう、育てよう育てようと、働き通しに働き続けてくださって、どうか助かってくれよ、立ち行いてくれよと、願いをかけてくださっている神様の心に沿わせていただくことが、大事だと思います。そしてまた、その苦しい中にあっても、そのことを自分の肥やしにしていく、肥やしにして取り込んでいく、受けきっていく。そして、自分自身が、その難儀なことを、苦しいこと、つらいことを肥やしにして、自分がいっそう、大きくお育ていただいていく。そういう気持ちで過ごしていくということが、大事じゃないかなと思います。

(ナレ)大変な経験も、自分を育てようと、神様が願いをかけてくださり、見守ってくださっていると思えると、心細くなった気持ちが落ち着いて、乗り越えられたという体験記でした。難儀なことがあると、ついつい悪いことばかりを考えて、心の元気がなくなってしまいます。私は、毎日を元気に過ごす、良い手がかりになるなと思いました。

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